建御名方(タケミナカタ)「日本神話の世界」

建御名方タケミナカタ

建御名方1
神格
軍神、狩猟の神、山の神、農耕神、五穀豊穣の神、風の神
祀られている神社
諏訪大社(長野県諏訪市)など
建御名方2
神徳
武運長久、交通安全、盛業繁栄、国土安寧、五穀豊穣
別称
お諏訪様、武南方神
系譜
オオクニヌシの子
詳細
建御名方(タケミナカタ)は「お諏訪様」という別称から分かる通り、長野県の諏訪大社を本拠地とし、全国に広がっている諏訪神社の主祭神です。建御名方は千人がかりで動かす大岩を手先で軽々と持ち上げる程の怪力の持ち主であるとされています。

タケミナカタはオオクニヌシの息子の一人であり、高天原のアマテラスに地上の統治権を渡すようにオオクニヌシに迫った際に最後まで抵抗したのがこのタケミナカタだと言われています。
そこでアマテラスの使者としてタケミカヅチが派遣されてきますが、タケミナカタはタケミカヅチに対して力比べでの勝負を挑みます。
こうして力自慢のタケミナカタは自信満々でタケミカヅチの手を掴もうとした瞬間、自身の手が氷柱へと変化し、次にそれが剣に変わります。タケミナカタがこの事態に困惑しているとタケミカヅチはやわな植物でも掴むようにタケミナカタの腕を掴み軽々と投げ飛ばしてしまいます。
敗れたタケミナカタは出雲から逃げ出して信濃国の須和の海(諏訪湖)へと逃れますが、タケミカヅチはタケミナカタを追って信濃へあらわれ、捕まってしまいます。
タケミカヅチに殺されかけたタケミナカタは国譲りに同意し、今後、須和の海から外に出ない事を約束し、許されたのでした。

このようなエピソードからタケミナカタは負け犬のようなイメージがありますが、これは時の権力者たちが自らの祖神であるタケミカヅチの力を示す為に創作したものではないかという説も有力です。

軍神としてのタケミナカタは狩猟などに使用する弓を連想させるもので、弓(武器)に宿る聖霊としての信仰が鎌倉武士の守護神として広く信じられるようになります。
また、有名な坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が奥州征伐に向かう際に諏訪神社に戦勝を祈願して戦場に向かうと諏訪の神の化身の兵が参陣し、神威を発揮して敵を打ち破ったとされています。
有名な元寇を神風によって撃退したというエピソードは八幡神が起こしたとするものが多いのですが、このタケミナカタが龍神として活躍したとするものもあります。
このように鎌倉時代においてのタケミナカタは神威を発揮する軍神として重視されていたと考えられています。

武の神として知られるタケミカヅチですが、風の神としての側面も持っており、諏訪神社には元々、風の平穏を祈る専門職である「風祝(かぜはふり)」というものが置かれていた事からも、その事実をうかがい知る事ができます。
武神としての側面が広く知られるようになったタケミナカタですが、元々は山の神であり、水源の神であるといった農業を見守る神としての庶民信仰がタケミナカタへの信仰を現在に続かせる事になった大きな原動力であると言われています。

尚、タケミナカタを祀った諏訪神社は現在、全国に5000社にのぼるとされています。
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