八幡(ハチマン)「日本神話の世界」

八幡ハチマン

八幡1
神格
剣神、武神、軍神
祀られている神社
宇佐神社(大分県宇佐市南宇佐)
石清水八幡宮(京都府八幡市八幡高坊)
鶴岡八幡宮(神奈川県巻暮らし雪の下)
気比神社(福井県敦賀市曙町)
筥崎宮(福岡市東区箱崎)
函館八幡宮(北海道函館市谷地頭町)
盛岡八幡宮(岩手県盛岡市八幡町)
富岡八幡宮(東京都江東区富岡)
護国八幡宮(富山県石動町)
平浜八幡宮(島根県松江市八幡町)
藤崎八幡宮(熊本市井川淵町)など
八幡2
神徳
成功勝利、教育、交通安全、悪病災難除け、殖産興業、国家鎮護、家運隆昌、縁結び、安産、子宝、子育て守護
別称
応神天皇(おうじんてんのう)、八幡神(ハチマンシン)、誉田別尊(ほんだわけのみこと)、大鞆和気命(おおともわけのみこと)、八幡大菩薩(ハチマンダイボサツ)
系譜
仲哀天皇と神功皇后の子
詳細
八幡(ハチマン)は第十五代応神天皇と同一とされている神で全国の神社において最も多く祀られている神である事から日本全国に住む非常に多くの人々に知られています。

八幡神は以前は武神としての側面が崇められてきた神でしたが、平和の時代となった今日では交通安全の神や縁結びの神、安産や子育てといった庶民にも恩恵のある親しみやすい神へと変化していきました。

八幡神と同一とされる応神天皇は当時、大陸の文化が最初に流入してくる福岡県の北九州において神の御子として産まれたとされ、誉田別尊(ほんだわけのみこと)と呼ばれる事もあります。
八幡神と応神天皇との結びつきを示す最初期の書物としては平安時代の後期に成立したとされる歴史書「扶桑略記(ふそうりゃっき)」であり、その中に欽明天皇の御代に八幡神が現れたという話が記されています。

応神天皇の伝説としては近畿から西日本一帯の山の民と海の民をすべて平定した王として描かれています。史実においての活躍は西暦4世紀の末頃だと考えられており、その頃には朝鮮との交流も行われ、東国への進出も行われたとされています。
このような東国への進出といった軍事的な力によって勢力を拡大していった側面が八幡神が武神とされている所以ではないかと言われています。

八幡と聞くと源氏を思い浮かべる人も多いと思われますが、その起源とされているのが源義家で7歳で元服した際に自ら「八幡太郎義家」と名乗り、八幡神の武神としての威光を利用した事が源氏と八幡神とを結びつけた発端であると言われています。
その後、義家の子孫であり、鎌倉幕府を開いた源頼朝が鶴岡八幡宮を源氏一門の守護神として祀った為、全国の武士の崇敬の対象となり、八幡神の存在は武士のみならず庶民にまで広まっていく事になります。

八幡神に関連する有名なエピソードとしては鎌倉時代に大陸からモンゴル軍が攻めてきた(元寇)際にはのちに神風とも呼ばれている季節外れの暴風雨を八幡神が起こしたと考えられていた事もあり、この日本の危機を救った大きな出来事によって八幡神の名声は不動のものとなったとも言われています。
スポンサーリンク